展示デザイナー・丹青社 田中利岳氏が読み解く、空間と時間の「タイムスケープ」。展示デザインという仕事への問いと挑戦。 | 社内レポート | 採用情報 | ユニオンテック株式会社

最先端を走る空間デザイナーのための対話型イベント「デザイナーズエッジ」


展示デザイナー・丹青社 田中利岳氏が読み解く、空間と時間の「タイムスケープ」。
〜 展示デザインという仕事への問いと挑戦 〜

10月24日、渋谷・ユニオンテック本社にて開催された第11回「デザイナーズエッジ」にて、株式会社丹青社のシニアクリエイティブエキスパート・田中利岳(たなか としたけ)氏に登壇いただきました。
今回のテーマは「展示デザイン」。ミュージアムやパビリオンなど、空間における情報の伝達を担うこの領域において、田中氏はこれまで『広島平和記念資料館』や『陸前高田市立博物館』といった社会的意義の大きいプロジェクトを手掛けてきました。

建築というバックグラウンドを持ちながら、「展示」という領域を選んだ田中氏。そして、情報と空間が交錯するデザインの現場で、どのような思想を持って設計に向き合っているのか。今回のレポートでは、田中氏のキャリアの変遷から、代表的なプロジェクトの裏側にあるデザイン思想を掘り下げます。


建築への没頭と、「見たいもの」への渇望


東京理科大学で建築を専攻し、6年間、意匠系の研究室を中心に建築漬けの日々を送ったという田中氏。課題やコンペ、研究室のプロジェクトに明け暮れ、成績が良い時も悪い時もひたすら模型に齧り付くような学生生活は「まさに青春そのものだった」と振り返ります。

しかし、建築に没頭する一方で、自身の内側にある根源的な問いと向き合うことになります。

「建築そのものは好きだけれども、建築を通して『自分が見たいものは何だろう?』と考えるようになりました。これは進路や自分の職能を考える上での、個人的かつ根源的な問いでした」

その答えを探すように、田中氏は国内/国外の建築を通じた旅に没頭し、田中氏は当時まだ一般的な言葉にはなっていない「ダークツーリズム」に興味を持ち始めます。人類の悲しみの場、いわゆる「負の遺産」を巡る旅です。そこで訪れたオランダの『アンネ・フランクの家』やポーランドの『アウシュヴィッツ強制収容所』での体験が、その後のキャリアを決定づけることになります。

 

「オランダのアムステルダムにある「アンネ・フランクの家」は、本当に小さな隠れ家であるにもかかわらず、そこに置かれた物や空気感、歴史性、匂いといったものが空間そのものの質を決定づける要素として、凝縮されていました。『建築を通して何かを伝えようとしている』という空間からのメッセージに強い感銘を受けました」

建築というハードウェアのなかにある、そこに置かれた「モノ」や、そこで起こった「コト」。
旅を通じて得たその感覚は、修士設計のテーマにも色濃く反映されました。田中氏は「ゴミニズム」と題し、消費社会の象徴であるゴミが建築化され、展示され、循環していくという挑発的なプロジェクトを発表します。

「その頃は少しとっつきにくい学生だったと思います。修士設計では”ゴミニズム”というテーマを立て、「この建築はゴミである」とプレゼンで冒頭宣言しました。当時、経済成長が著しかった韓国へ行き、凄まじい量のゴミが出る消費社会を目の当たりにしました。そこで、ゴミが捨てられて再資源化される過程そのものの1つが建築行為になったら面白いのではないかと考えたのです。」

「実際にゴミが建築化され、展示になっていくミュージアムを構想しました。さらに、ゴミは対価として売却可能にし、作られたミュージアムの一部が価値あるものとして買われていき、またゴミで躯体が作られては売られていく……という循環する建築を提案しました。」


恩師の言葉と、ディスプレイ業界への進路


大学院修了後すぐに、田中氏は建築設計事務所ではなく、ディスプレイ業界大手の丹青社へ入社します。恩師である建築家の小嶋一浩氏(CAt / 元シーラカンス)は「建築家になれ」と期待を寄せていましたが、入社が決まった時も田中氏の選択を後押しする言葉を贈りました。

「『お前が一人前になったら作品を見せに来い。その時、俺と最高のミュージアムを作るぞ』、という言葉をかけてくれました。この言葉を胸に、デザイナーとしてやっていく決意を固めました」

入社後は、建築とは異なり、展示とは何か、展示物をどう見せるか、空間をどう作るかといったことを、インテリアの意匠を直球で問うアプローチとは違った側面で捉えながら図面を描き続け、挫折し続ける日々が続きます。
展示とは何か、空間をどう見せるか。7〜8年の修行期間を経て、自らミラノサローネに出品するなど、デザインの実践を通じて、人々が自分たちが作ったものを体験して、無邪気に喜んでもらえた経験などが大きく影響したといいます。

「建築から考えるという器発信ではないところから、旅で感じたような『モノとコト』から始まる空間デザインを通じた人々の感情のあらわれ。これが今、私がまさに取り組んでいる『展示デザイン』の魅力なのではないかと思っています。」


「展示デザインとは何か」を問う、2つのプロジェクト


「展示デザイン」を言語化しようと試みていた時期、田中氏は2つのプロジェクトを通じ、重要な気づきを得ます。

1. 花巻市総合文化財センター:風景を展示に持ち込む

岩手県花巻市の『早池峰山(はやちねさん)』に関する文化財や資料を一箇所に統合して展示するプロジェクトでは、実際に山に登ることでコンセプトを着想しました。

登山中に次々と変わる風景や特徴的な岩、それらが織りなす自分だけのご褒美のような風景、そして植生の豊かさに感銘を受け、「早池峰ウィンドウ・ランドスケープ」という概念を提唱。単に資料を分類して並べるのではなく、早池峰山の風景にわくわくしながら登る人の気持ちに焦点を当て、山を散策する旅のような過程の中で早池峰文化を風景に見立ててウインドウの展示を巡る体験として展示を構成しました。

(撮影:アートプロフィール)

「例えば、土偶って実際何に使われたものなのか仮説はたくさんある一方で学術的に決定づける答えがあるわけではない。なので、『土偶は実は土の中で自由気ままに土中空間を浮遊しているかもしれない』という研究者のロマンあふれる説をもとに、宇宙に漂うようなディスプレイをしてみたり。10個ほど設定したテーマに対し、徹底的にスタディを行いました」

2. 薩摩川内市消防局防災研修センター:見えない恐怖を可視化する

(撮影:林 巧)

鹿児島県の防災施設では、単なる体験学習ではなく、災害の「本質的な脅威」をどう伝えるかに腐心したといいます。

「防災施設というと、火災体験や地震体験などをして防災意識を高める場所というイメージがあると思います。なので体験施設をつくりさえすれば目的は達成するんですが、東日本大震災の記憶が新しかったその当時、単なる体験だけでは足りないのではないかという違和感がありました」

地域の特性によって災害における危機感の濃淡は様々ではある中で、どんな地域の人でも災害の本質的な脅威というものを知って欲しいという思いから、災害の恐ろしさを突き詰めたそうです。

「当然一発の地震そのものが脅威であることは間違いない。ただ、そのような惨劇が脈々と繋がっていることが非常に恐ろしいことだと感じました。地震の後に火災が起き、電気が止まり、生活が脅かされていく。そうした予想だにしない「連続する脅威」を感じてもらわなければ意味がないと考えました。」

(撮影:林 巧)

各防災体験室をぐるりと囲むガラスファサードには、連続する脅威を暗に示す粒子の集合体で形作られる災害を表現し、暴風浸水、火災、煙、地震、雷などの災害イメージがドット状の粒子となり、一連の脅威としてぬるぬると繋がっている表情を作りました。

(撮影:林 巧)

「これら2つのプロジェクトはある種、『コト』の背景である『そもそも』の部分に向き合ったもの。「展示デザインとは?」の問いに対して一つ、自分なりに解消できた体験でした。展示デザインには様々なテーマがありますが、そこに流れる『時間』を捉えることが重要だと感じています。早池峰山なら、縄文時代から続く変わらない山の時間。そうした共通の時間軸やシーンを捉える”タイムスケープ”という思考が、展示を面白くする切り口になるのではないかと考えています。」


情報と感情を編む、3つの代表的プロジェクト


ここからは、田中氏が手掛けた3つの大規模プロジェクトについて、そのデザイン思想を紐解きます。


大阪・関西万博 国際赤十字・赤新月運動館

テーマ:「コト」のデザイン

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

大阪・関西万博において、田中氏は国際赤十字・赤新月運動館(事務局・日本赤十字社)のデザインを担当。「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博の大きなテーマの中で、赤十字パビリオンとして何を作るべきかを考え、掲げたテーマは「人間を救うのは、人間だ。The Power of Humanity」。

「赤十字と万博の関係は150年もの歴史があり、創設者はパリ万博、ウィーン万博といった時代から、万博の場を通じて救済・救護などの人道支援の理念や活動を広めていました。

今回の関西万博でもそのテーマは変わらず、とても赤十字さんらしい、「人間を救うのは、人間だ。」という言葉を掲げました。」

「人を中心に、人道の本質を伝え、アクション(救うという行動)に繋げることを目指しました。「気づき、考え、実行する」というシンプルな展示の基本のような構造です。」

 

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

「デザインのアプローチとして、日常から突然日常が失われ、自ら行動すべきだと気づく一連の流れをコトの線、『コトセン』として表現しました。1人の人生を1本の線で表現し、それが空間内で展開され、他の線と交わり、大きな力が湧き立つ様子を可視化しています」

導入部には詩を掲げ、感情を揺さぶるストーリーテリングを重視。

「人それぞれの人生が一本の線のように
未来へ向けてのびている
人がだれかのために行動を起こす時
二本の線が交わりそこに力が生まれる」

体験者の多くが涙を流すというその空間は、情報の伝達を超え、人の心にある「人道」へのスイッチを押す装置として機能しています。


陸前高田市立博物館

テーマ:「モノとコト」のデザイン 

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

東日本大震災で被災した「海と貝のミュージアム」と「市立博物館」の2つの博物館を統合し、「未来への約束」として再建するプロジェクトにて、田中氏は内藤廣建築設計事務所が手掛けたミュージアムにて、津波で流された46万点もの資料を修復しながら展示するという、途方もないプロジェクトを手がけました。

資料を一点一点拾い上げ、修復する作業は現在も続いています。また、ここでは地域性を表現するため、大量に廃棄される牡蠣の殻を壁材に練り込み、地域の記憶を空間に定着させました。

 「展示コンセプトは『生きている展示』です。資料が生きていると捉え、資料が復興していく姿を如実にする展示を目指しました」

圧巻なのは、500種の魚が海から飛び出してくるようなディスプレイです。これは単なるアートインスタレーションではなく、生息域やサイズを徹底的に検証した「情報が詰まったディスプレイ」だと田中氏は強調します。

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

また、被災した剥製「ツチクジラのつっちぃ」をあえてダメージを受けた姿のまま展示することで、震災の記憶と、それでも再生して泳ぎ回るような力強さを表現されています。

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

他にも、子供たちのための部屋や、メッセージを掲げる壁なども作りました。この壁が建築の外観と相まって、画像のように横に流れていき、思いをつなげていく、というように仕立てています。

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

内藤廣氏からはある時突然オフィスに呼ばれて、「建築は50〜60年そこらで朽ちるけど、展示資料って永遠だよね、つなぐものだ。田中さん、面白いことやってるな。」という言葉をかけられたと言います。

「自分がやっているのは、永遠に続くものに対するデザインなんだ」という気づきは、田中氏の芯をより強固なものにしました。


広島平和記念資料館(東館・本館)

テーマ:「モノとコト」のデザイン

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

終戦からたった10年後の1955年に開館した、戦後建築の傑作である丹下健三氏設計の世界的にも重要なプロジェクト。改修にあたり、外観を全く変えずに免震化するという建築的な挑戦が行われ、田中氏は東館と本館の両方の展示デザインを担当しました。

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

東館では「コトのデザイン」として、再現は不可能な「被爆の瞬間」の表現に挑みました。

「被爆の瞬間そのものを表現することは不可能であり、すべて嘘になってしまう。そこで、「被爆の前」と「被爆の後」の間にある瞬間として捉えました。」

東館に入館しエスカレーターを上がると、被爆前の広島の姿(産業奨励館)が出迎え、その後に「8月6日の壁」を経て、被爆後の悲惨なパノラマと現在の原爆ドームが直線上に繋がる構成になっています。 

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

一方の本館では「モノ」と向き合います。被爆者が彷徨った道のりを追体験できるような観覧動線にし、被爆資料(遺品)一つ一つと向き合う展示を作りました。

そして被爆者の遺品という、あまりにも重い事実を持つ資料に対し、一切の鋲を打たず“資料に痛みを与えない”展示などを試み、布地がギリギリ保てる角度を検証して展示。 

「都市の被害の中に遺品を据え、当時の時間やメッセージを感じてもらう空間としました」

 

撮影:河野政人(ナカサアンドパートナーズ)

 最後に本館を抜けると、慰霊碑と原爆ドームへと視線が抜ける構成になっており、過去(被爆者の視点)から現在(自分自身の視点)へと意識を引き戻すストーリーが構築されています。


 デザイナーとしての「道筋」と「出会い」


講演の終盤、田中氏はこれら3つのプロジェクト——広島(人災)、陸前高田(天災)、赤十字(人道)——を振り返り、自身のキャリアが不思議な一本の線で繋がり、「人災・天災・人道」という関係性の中で仕事をしていたのだと気づいたと語ります。

 

「案件と案件が繋がり、自分がやっていることの意味が実感できる。これはデザイナーとして非常に面白いことです。デザイナーは一つ一つの案件を深掘りするだけでなく、テーマ同士の繋がりを体系立ててみることで、若くてもベテランであっても、同じように自分だけの道筋や個性が見えてくると思います。こういうことに気づくと、なんだか少しデザイナーって多様で、複雑で、面白い仕事だなと思いませんか?」 

そして最後に言葉はつづきます。

「さまざまなプロジェクトを恩師に見せたかった。見せたら何と言われただろうか。『まだまだ足りない、もっとデザインを考えろ』と叱られるのではないか。そう想像できることが、私にとっての一つの財産です」

才能があるかどうかよりも、何よりかけがえのない大切なものは、その瞬間瞬間の「人との出会い」であり、「人との出会い」こそが「やってみよう」「楽しもう」と、自分を突き動かす原点になる。展示デザインという終わりのない問いに挑み続ける田中氏の言葉は、これからを担う若いクリエイターたちへの、温かくも力強いエールとして響きました。


 【編集後記】

今回のセミナーでは、具体的な空間操作のテクニック以上に、その根底にある「対象への誠実な眼差し」が印象的でした。建築というハードから入った田中氏が、旅を経て「モノとコト」の重要性に気づき、やがて「時間」や「人道」といった目に見えないテーマを空間に落とし込んでいく過程は、まさに展示デザインの深淵を見るようでした。

情報は、ただ置かれるだけでは伝わらず、空間展示という身体的な体験を通して初めて、人の心に届く物語になる。
田中氏の実践は、デジタル化が進む現代において、リアルな場所で情報を体験することの意義を改めて教えてくれます。

 次回のイベントにも、ぜひご期待ください。 

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