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後付けで知識や技術を習得

その後も仕事はコンスタントに入ってきました。

「大川君は若くて、レスポンスが早いからいいね」

薬局の仕事をお願いした設計士さんからこんな評価をいただき、彼を通して、次から次に仕事の発注があったからです。浦和レッズのサポーターの店を作ったこともあれば、パチンコ店を手がけたこともある。おかげで私の仕事の領域もぐんと広がりました。

フローリングもやったし、床を組んだり、壁を塗ったりの仕事もやりましたね。仕事の依頼を受けては「できます」とまずは答え、職人さんを呼んで現場で一緒に仕事をやらせてもらいながら、自分がわからないことがあれば低姿勢で逐一聞いて、必要なノウハウを習得していく。その繰り返しです。

私、大川祐介は「できる」と宣言してから、自分を追い込み、後で努力する完全な後付タイプ。「できる」と言ってしまえば、言い訳は効きません。何が何でもやるしかない。おかげで、広く浅くではありますが、ひと通りの技術や知識が身につきました。

睡眠時間わずか2時間の日々 イメージ 睡眠時間わずか2時間の日々 イメージ

睡眠時間わずか2時間の日々

独立後は、無我夢中で走り続けました。

不安は正直、なかったですね。むしろ、なんとかなるという根拠のない自信がありました。人との出会いにも救われました。仕事が絶えなかったのも、人とのつながりで仕事がどんどん広がっていったからです。

来る仕事は断らずに仕事をしていましたが、社員は、私、大川祐介だけなので、当然応援部隊が必要です。あの頃はバイトを大量に使っていました。私の古くからの友人で、いまは当社の役員を務めている小林に頼み、彼が通っている大学からたくさんの学生に紹介してもらって、1日に25人のバイトを使っていたこともありました。物件毎にバイトを使い分けていたので、支払いの管理が大変で、夜に事務所に戻ると見積書を書き、支払いや振込の準備を済ませ2時間だけ寝て、翌朝また仕事に行く。こんな日々を1年以上続けていたでしょうか。

埼玉県にあるパチンコ店の仕事のために、3日連続で徹夜をしたこともあります。よく体を壊さなかったものだと思いますが、やはり無理がたたったのか。一度、疲れと眠気で事故を起こしてしまった。当時、1日5000円で借りていた軽トラックに乗っていたんですが、関越自動車道をおりたところで事故を起こし、気づいたら車の半分がなくなっていました。車は廃車にせざるを得ませんでしたが、いま思い返すとよく生きていたものだ、とぞっとします。

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絶好調の初年度から一転、赤字に陥る

独立初年度の売上は極めて順調でした。最初の月の売上はわずか10数万円に過ぎなかったのに、終わってみると年間の売上はその100倍以上。大きな数字を前にして気を良くした私はマツダのボンゴを購入しました。作業車でしたが、生まれて初めての所有車です。わくわくした気分をいまもよく覚えています。

ところが、天下を取ったような気分で調子に乗り、車を買ったのが良くなかったのか、2年目に入ると一転して、仕事の量ががんと減ってしまいました。結局、1年目は運が良かっただけ。それが2年目になってよくわかった。売上は大きくダウンし、トータルの売上は初年度の半分以下です。

大きな仕事が入ってこなかったため、働いても働いても楽にならない。火の車とはあのことです。ただし、苦しい中でも私は一度も業者への支払いを遅らせたことはありません。雇っていたパートの女性が、午後3時を1分だけ回って振込手続きをしたときには、わざわざ先方に電話をかけて、「もし振込されていなかったら、現金をそちらに届ける」と約束したこともありました。

借金してでも支払いの約束は守るのが大川祐介のモットー。実際、一度だけですが、消費者金融からお金を借りて、支払いに回したこともあります。もちろんきっちり耳を揃えて期日までに返しました。

約束をちゃんと守ると、取引業者との信頼関係が強まり、みな私についてきてくれる。お金の問題でトラブルや約束違反を一切起こしていないことは、私の生涯唯一の自慢です。

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大川祐介は何をやりたいのか

2年目に入ってくる仕事は、手間はかかって、それでいて利益が薄い小さな仕事ばかり。自分がいくら手を動かしても、1日の売上は数万円が関の山です。これではダメだ。火の車から抜け出せない。いまのままのやり方では食べていけなくなる。

痛切な危機感を感じて、私は仕事の内容と質を変えようと決意しました。では、仕事のやり方をどうやって変えていったのか。

まず最初に、自分に何度も何度も問いかけました。大川祐介、おまえは何がやりたいのか。何をしたいのかと。

自問自答すると、答えは明らかでした。工場の耐震補強からマンションのクロスの張り替え、解体工事まで、依頼されれば断らずにどんな仕事も受けていましたが、もっとも面白さを感じ、手応えを得ることができ、かつ、まとまった金額につながる仕事といえば、最初にやった薬局の店舗づくりでした。これまでやった仕事をすべて振り返っても、「これだ!」と強い手応えを感じたのは、薬局の仕事以外にはなかったのです。

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職人の会社から施工の会社へ

よし、この路線で行こう。行くしかない。

私は受注する仕事の中身を店舗の施工に絞り込み、人を使う側に回ろうと決めました。営業をかけ、店舗づくりの仕事をくださいと駆けまわり、受けた工事は自分がやるのではなく職人さんにお願いし、大川祐介自身は品質工程や原価を管理して物件の工事を円滑に進行させる現場管理業務にシフトしたのです。

正直、自分でやった方が仕事は早く済むけれど、それをやってしまっては以前と同じです。企業が成長できないし、売上も利益も増えない。その路線に戻るつもりはまったくありませんでした。

こうして3年目を迎えたちっぽけな職人の会社は、施工を手がける会社へと方向転換を遂げたのです。これこそ、現在のユニオンテックの原点にほかなりません。