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吉野家で見たタウンワークが始まりだった

(大川祐介) 川島さんが入社したのは2004年ですよね。まだ、社名が「ユニオン企画」の時代でした。吉野家で牛丼を食べながら、うちが出した求人広告を見て応募してきたというエピソードは、社内では語りぐさになっています(笑)。

(川島伸夫)というか社長がしゃべりまくってるだけでしょう(笑)。ユニオンテックに入ったのは本当にたまたまでした。食事をしようと入った吉野家で、そこに置いてあった「タウンワーク」を手にして、ページをめくったら、内装・建築の経験者を募集する広告が目に飛び込んできたんですね。採用基準も何も出ていなかったし、早速電話を入れると、社長の後ろで犬の鳴き声が聞こえてきた(笑)。稲城なら帰り道だからと、すぐに話を聞きに行ったんですが、そのときに何を話したかはもう覚えてないなあ。ずっと世間話に終始したような気がするけれど、それだけであっという間に採用が決まった。面接というカンジじゃなかったですよね。すぐ次の日から勤め始めました。

(大川祐介) 人がいなかったからね(笑)。決め手はそれです。それにしても、うちの会社の取締役には、採用にお金がかかっていない人が多いなあ。川島さんの場合は、タウンワークへの広告費3万1500円で済んだし、ハローワークから応募してきた取締役の山本宗之なんてタダですから。

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忙しかった以外の記憶がない

(川島伸夫) 入ってみてまず感じたのが、会社の中が和気あいあいとしているということ。前の会社とは全然雰囲気が違いました。ただ、本当に忙しかったよね、あの頃は。入社早々、社長が過労で倒れちゃったし。連絡がとれなくなったから、自分が現場をまとめてフォローして、てんてこまいでした。一人三役、四役は当たり前。忙しかった以外の記憶がない。家に帰る時間はほとんどなかったですよね。妻や子どもとは顔を合わせなくても、毎日社長とは顔を突き合わせていました(笑)。

(大川祐介) 休みなんかろくに取れない時代だったからね。それでも、会社の中は暖かい空気に満ちていた。

(川島伸夫) そう思います。やめようという気持ちは一切なかった。仕事の中身というよりも、会社の雰囲気や社員みんなが大好きだった。だから全然苦にならなかったんですよ。それまでは仕事なんて画一的なものだし、それぞれの担当で機械的に動くのが当たり前だと思っていました。仲間といっても、上辺だけの関係というか。ところが、うちの会社はそうじゃなかった。仲間意識がありましたね。夜中の2時に現場での仕事が終わると、それからまた仲間と飲みに行っていました。よくあんな体力があったものです。月曜日は会社に行きたくなくて憂鬱になるなんて話をよく聞きますが、自分の場合は、嘘偽りない話、いやだと思ったことなんて一度もない。まあ、忙しすぎて曜日の感覚がなかっただけかもしれないけど(笑)。

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同じベクトルで走り続けた日々

(川島伸夫) 社長は若い頃から、自分のビジョンを語ってましたよね。それこそ移動の車の中でもビジョンについてたびたび話を聞いていました。そのビジョンに共感できたのも、自分がユニオンテックに長く勤め続けている理由です。成長したい、社員数をこれぐらいに増やしたい、自社ビルを建てたいと常に熱く話していた。男気がありましたよ。いや、いまでもありますが(笑)。社長の語りを聞いて、「そうか、人が増えたら楽になるよなあ」と自分もがんばれた。いつか絶対に良くなると信じられた。ベクトルが社長と同じでした。

(大川祐介) ところが、社員が増えたら増えたでまた仕事が入ってくるので、いっこうに楽にならない(笑)。ともかく、ビジョンに向かって、ひたすら走り続けたよね。あのころのメンバーでいま残っているのは3人だけかな。とにかく働き詰めだった。ビジョンを実現するには、会社としての力が絶対に必要になる。だから、スキルを上げ、実績を作り、会社としての実績を上げようと必死でした。

(川島伸夫)入社から5年ぐらいはとにかく突っ走りましたよ。少数精鋭でやってきたから力はあったと思います。意識も共有できていたしね。苦しみも楽しみも共有していて、温度差はなかったなあ。現場では日々、いろいろなトラブルはあったものの、そこから逃げたことなんてない。問題があればすぐにクリアにして、解決してきた。あの頃の連携プレーはすごかった。

ターニングポイントは「人」 イメージ ターニングポイントは「人」 イメージ

ターニングポイントは「人」

(川島伸夫)いま振り返ると、ユニオンテックは当時から人を大事にしてきた会社だと思います。ユニオンテックのファンが増えるにつれ、紹介されて入社する人も、入ってくる仕事も増えてきた。以前は、いまのようなwebで人を採用する仕組みなんかなかったですからね。人材も仕事もすべて人を介して入ったきた。まさに、ユニオンスパイラルです。

(大川祐介) 当時は知名度がまったくなかったし、それしか方法がなかったからね。

(川島伸夫) 仕事を紹介されたら、その人の顔に泥を塗れないから、必死でやる。そこでダメだと次の仕事が来なくなるから、責任感を持ってがんばって完成させた。これが我々の原動力でした。

(大川祐介) そう。ユニオンテックがここまで成長できたのも、人との出会いを大事にしてきたから。ターニングポイントはこれといった物件じゃなくて、本当に人。出会いを一つ一つ、大事にしてきた。どのお客さんにも不義理をしたことはないからね。これは自信を持って断言できます。お客さんの期待や信用を裏切らず、会社をあげてフォローし、信頼に応えてきたことがいまのユニオンテックを作ったと思います。

(川島伸夫) 来た仕事は断ったことがなかったでしょう。頼まれたらどんなことでもやってきた。現場ではやれ遅刻したとか、あれを忘れたとか些細なヒューマンエラーはあったけれど、約束を守り通したことについては絶対の自信がありますよ。

(大川祐介) 一度受けたからにはやりとげる意志をアピールし、必ず実行してきたよね。だから「またユニオンテックさんに」と声をかけてもらったんですよ。長いお客さんだと10年以上のつきあいがある。これはユニオンテックの誇れる部分です。