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アルバイトよりも日給が下だった

(大川祐介) 『小林さん』と呼ぶのは柄でもないので、いつも通り『コバヤン』でいきます。コバヤンとのつきあいもずいぶんと長くなったよね。

(小林佐理) お互い、18才のときからですからね。

(大川祐介) 私がこの業界に足を踏み入れるきっかけとなった最初の会社にコバヤンがアルバイトにきていたのが始まりでした。その会社の社長の娘さんの高校時代の同級生がコバヤンだった。

(小林佐理) ええ。社長は当時はクロス貼りの職人でしたが、年も同じだし、仕事の現場もいつも一緒だったので、もう最初から友達のような感覚でした。でも、僕は「大川さん」と呼んでいたけど、大川社長は「小林」と呼び捨てだったなあ(笑)。

(大川祐介) そうだっけ?

(小林佐理) そうですよ。特に上下関係があったわけじゃないですけどね。

(大川祐介) まあね。でも、日給は違ったよね。いまだに覚えているけれど、私の日給が8000円だったのに、アルバイトに来ているコバヤンは1万円もらっていた!

(小林佐理) よく覚えていますねえ(笑)。

(大川祐介) だって、こっちは正規のスタッフなのに日給はアルバイトより下なんだなと思っていたから。社長の娘の友達だから優遇されるのも仕方ないんだけど(笑)。

(小林佐理) 当時、現場でやっていたのはマンションやアパートのリフォームの仕事でした。要するに原状回復の作業ですよね。住人が部屋を退去した後の掃除をして、次の入居者が入る前に基本的なクリーニングをやって、汚れている部分を取り替えるのがメインでした。いまのユニオンテックとと比べると、本当にすごく小さい仕事ばかりで、これで飯食えるの?というぐらいの規模でした。

(大川祐介) 1回やって5万円、10万円の仕事だった。薬品でカビを取ったり、細かい作業が多かったなあ。

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いったん途切れた縁がまた復活

(大川祐介) 当時、大学生のコバヤンとはずっと現場でいっしょに仕事をしていたけれど、あるとき、連絡が途絶えたことがあったよね。

(小林佐理) 大学2年のときに休学して、九州の佐賀県に引きこもっていた時期があって、そのときはバイトをやめていましたからね。1年後に東京に戻ってきて、日野でひとり暮らしを始めたら、社長から「バイトしない?」という電話がいきなりかかってきたんですよね。僕はすぐに「やります、やります」と答えてまた、交流が再開しました。

(大川祐介) 薬局の施工の仕事だったから、独立して本当に一番最初の仕事だったなあ。

(小林佐理) 電話をもらってすぐに工事が始まりました。でも、僕の日給は8000円に下がっちゃった(笑)。

(大川祐介) 前がもらいすぎだったんだよ(笑)。ある意味、コバヤンはユニオンテックの一番の古株なんだよね。でも、コバヤンは大学を出て、普通に就職しちゃったから、そこでいったんユニオンテックとは関係が切れた。

(小林佐理) 社長に「うちに来れば」と言われたこともあったけど、当時のユニオンテックは職人の会社だったじゃないですか。僕は職人じゃないし、そっちの道に進む気もなかったので、先のことはともかく、とにかくいったんホワイトカラーの仕事に就こうと思ったんです。それで、IT関連商品を販売している会社に入りました。

(大川祐介) でも、毎年、正月になるとうちに顔を出しに来てくれたよね。

(小林佐理) 行きましたよ。だって交流を切らしたくないと思っていたから。ところが、新年のあいさつに行っても、そこで社長に会えたことがない。自宅にいると思っていたら、ハワイに行っていたり、出掛けていたりで、会えたことがなかった(笑)。

(大川祐介) それなのに義理堅く、毎年来てくれていたよね(笑)。

(小林佐理) 会えなくても、あいさつに行ったということが大事だと思って。

(大川祐介) 考えてみると、電話もしていないし、そもそも電話番号も知らなかった。でも、顔を合わせなくても、なんだかんだで関係はずっと続いてきたのかもしれないね。

営業力がどこまで通用するのか イメージ営業力がどこまで通用するのか イメージ

営業力がどこまで通用するのか

(小林佐理) 仕事で社長と接点ができたのは、僕が就職した会社を辞めて、その時の先輩といっしょに会社を立ち上げてから1年ぐらい経ったときのことでした。

(大川祐介) 周囲からコバヤンが会社を辞めたという話を聞いていたんだよね。ちょうど美容系の会社と業務提携をしたところで、美容商材を売りながらサロンとのコンタクトを増やして内装の仕事につなげていく仕事を拡販しようと考えていた。誰か適任者がいないかなと思いついたのがコバヤン。いつも頭の中にコバヤンがいたのかも(笑)。

(小林佐理) ありがたいことです。でも、その話を受けたものの、結局うまく行きませんでした。

(大川祐介) グラフィックデザインの仕事も加えて、内装から空間デザイン、グラフィックまで手がける会社を新しく立ち上げたのはいいけれど、仕事がうまく取れなかったんだよね。結局、そこにいたメンバーはユニオンテックが吸収して、コバヤンにも営業としてユニオンテックに来てもらうことになりました。でも、あの会社はコバヤンの原点なんかじゃない。あれはただの通過点。ユニオンテックに入ってからがコバヤンの原点だと思っています。

(小林佐理) 僕も同じ気持ちです。ユニオンテックに入社するにあたっては、僕の営業力がどれぐらい通用するのか、自分でも楽しみにしていました。なぜか不安はなかったんですよ。けっこう、やればなんとかいけるんじゃないかと楽観的に考えてました。

(大川祐介) ところが…。

(小林佐理) そう。ところがそこからが大変だった。

(大川祐介) ああでもない、こうでもないと50回ぐらい、営業方針を試行錯誤してたよね。

(小林佐理) そうでした。ずいぶんと大変でした。でも、やらないと仕方がない。なんとか自分のポジションを確立しようと思って、本当に必死にもがき続けました。


いかに小林佐理氏が奮闘し、ユニオンテックの中で自らのポジションを確立するに至ったのか。

それをどう大川社長がバックアップしたのか。


〜営業機能の確立を急げ〜<後編>