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マジックバーで実感した自分の性分

私は昔から負けず嫌いでした。

それも、並大抵じゃない。負けるのが大嫌いで、これぞと思ったら徹底的にやる。人にはとにかく負けたくない。絶対に諦めない。

今回は、そんな私、大川祐介の負けず嫌いのルーツについてお話しようと思います。

突然ですが、みなさんはマジックバーという場所をご存知ですか? ショータイムにはプロのマジシャンが登場し、客の目の前でとびっきりのマジックを披露してくれる。知り合いに連れて行かれたその店では、私は自分の負けず嫌いを改めて実感しました。

自分の目の前で次から次に繰り広げられるマジックの連続に、私はただただびっくりするばかり。空だったはずのコーラの缶が気がつけばコーラで満たされていたり、私が渡したSuicaがいきなりくるくると回り出したり。

最初は圧倒されていたのですが、いつのまにか自分の胃が痛くなるのを感じました。いらいらしてくるのがわかりました。悔しい。そう思ったからです。

マジックのタネがまったくわからない。そのため、私はマジシャンに負けたような気分を味わいました。 マジックぐらいのんきに鑑賞すればいいではないか。そんな声も聞こえてきそうですが、私、大川祐介はどうしてもそれができない(笑)。見るからには、そのトリックが知りたい。全貌ではなくても、だいたいのからくりをつかみたい。

昔から、わからないことがあれば調べたくなる性分でした。全部わかる必要はないんです。こういうものだという全体像がつかめればそれでいい。マジックもそうです。別にプロのマジシャンになりたいわけじゃない。でもせめて、こんな風にやっているというからくりなり仕掛けなりがなんとなくでもわからなければ気がすまない。

やはり私、大川祐介は究極の負けず嫌いなんだと思います。

地元の中学に進学したくない一念で始まった猛勉強 イメージ地元の中学に進学したくない一念で始まった猛勉強 イメージ

地元の中学に進学したくない一念で始まった猛勉強

ここで、私の負けず嫌いの歴史を振り返ってみましょう。

幼少期の頃から私、大川祐介は負けず嫌いでした。小学校低学年までは、スポーツができる子どもは人気者です。スポーツが得意な私も、自分で言うのも恥ずかしいですが、かなりの人気者でした。昆虫も大好きで、自称「昆虫博士」。図鑑を熟読しては、昆虫を探しまわる日々を送っていました。それも「知りたい」「他の誰にも負けたくない」の一念からです。

昆虫が好きで、外で遊ぶのが好き。そんな素朴な少年時代を送っていた私は、小学校5年になると、猛烈に勉強を始めます。私、大川祐介の小学校高学年での成績はほぼオール5。優等生でした。

なぜ、そんなに勉強をしたのか。

答えは簡単です。地元の公立中学に私が行きたくなかったからです。小学校のときから何かと目立っていたからか、5年生になったある日、通っていた小学校に中学校の先輩がやってきて、私にこう言い放ちました。

「おまえ、うちの中学に来たら、ただじゃおかないぞ」

当時の私が通うことになる中学校は公立ですが、先輩にそうやって脅されてしまった私は、なんとかその中学に行かないで済む方法を考えました。すると、私立の中学を受験するしかないわけです。

そこで、父親に「中学受験をしたい」と申し出ると、「開成中学だったら、行ってもいいぞ」と言われました。

開成中学といえば、いまも昔も中学受験の頂点に立つ学校です。いまにして思えば、父親は私があきらめるようにと無理難題をふっかけたのかもしれませんが、私は真剣に受け取りました。

絶対に入ってやる。なんとしてでも開成中学に合格できるレベルに達してやる。

地元の中学に進学しないで済むために、私の猛勉強が始まりました。

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受験すらさせてもらえない!?

開成中学に合格できるぐらいのレベルに達すれば、中学受験をさせてやるーー。父親のその言葉を信じて、私、大川祐介は必死に勉強しました。

漢字、算数、理科。手当たり次第にドリルをやって、クリアすると、ワンランク上のドリルを買ってきて、またそれをクリアする日々が続きました。

おかげで、通っていた小学校では一番の成績です。自分でも自信がつきました。これなら間違いなく中学受験をさせてもらえる。そう信じていましたが、父親から返ってきた言葉は予想外のものでした。

「中学を受験するのは無理。公立に行け」

こんなに勉強を頑張ったのに、受験すらさせてもらえない。機会すら与えてもらえない。それがわかったときの私のショックは大変なものでした。

しかし、どんなに抗議しても親には逆らえません。憧れていた中学受験の道を閉ざされて、私はやむなく、地域の中学に通ったのです。


昔から底抜けの負けず嫌いだった<後編>