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テニスにはまった中学時代

成績は良かったものの、中学時代の私、大川祐介の素行の方は正直いって褒められたものではありませんでした。おおっぴらに言えないことはたくさん、内緒にしておきたいことも一つや二つではありません。

しかし、胸を張って自慢できることもたくさんあります。

その一つがテニスです。

中学時代、私はずっとテニス部に所属し、大げさにいえば、テニスに青春を傾けていました。素行が悪いのに部活?と驚かれるかもしれませんが、私が通っていた中学の同級生や先輩たちはみな部活に勤しんでいました。

私は、サッカー王国の静岡県の出身なので、小学校まではサッカーに夢中になっていましたが、入った中学にはなんとサッカー部がない!そこで、サッカー同好会を作って週に1回サッカーをしながら、学校では部活のテニスに打ち込んでいたんです。

サッカーではなく、新たに始めたテニスの魅力にはまってしまった私は必死になりました。巧くなりたい。もっとテニスができるようになりたい。その思いはどんどん強くなって、一生懸命、一人で壁打ちをしたりと毎日練習に励みました。

軟式テニス部だったので、ダブルスを組んでいましたが、ダブルスパートナーは、1年先輩の2年生。というのも、自慢では無いですが、私の腕に釣り合う人が同学年にはいなかったからです。先輩とダブルスを組んでいたのは私だけで、負けず嫌いの本領発揮です。

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足をひきずりながら中体連に出場

運動部に所属する中学生にとって、中体連は一番の大きなイベントです。しかし、3年生になった夏、中体連に出場する前に、私、大川祐介は足を骨折してしまいました。先輩たちに誘われて自転車で海に行ったとき、車にはねられてしまったのです。

いまもよく覚えていますが、私をはねたのは新婚旅行中のカップルでした。彼らが運転していた車のフロントガラスに私は頭からぶつかってしまいました。彼らからすれば最悪の新婚旅行でしょう。

フロントガラスに頭を突っ込み、血だらけになった私のところに先輩たちが駆け寄ってきて、「祐介、立てるだろ」「立てよ」と声をかけました。なんとか力を振り絞って立ったものの、左足が折れていて転んでしまったことをいまでもはっきりと覚えています。さすがに先輩たちも「これはやばい」と気が付いたのか、青ざめてすぐに救急車を呼びに行き、私は病院に運ばれました。

幸い、出血していたのは顔だけ。頭には傷はなく、左足はやはり骨折していましたが、後遺症はゼロ。退院してギプスがはずれたところで、私は中体連に出場しました。

といっても、骨折した脚はまだ完治していません。足をひきずりながらの出場でしたが、市の大会では優勝し、東部の大会でも上位、県大会に出場する成績をおさめることができました。

それもこれも、すべては「負けたくない」という強烈な思いからです。出場した以上はなんとしてでも良い成績をおさめたい。その一念で私、大川祐介は足を引きずりながらプレーして、納得の行く戦果を獲得することができたのです。

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いままでもこれからもずっと負けず嫌い

仕事を始めてからも同じです。

どうやったら誰よりもうまく仕事をこなせるようになるのか。

どうしたら、人よりも仕事を効率的に進められるようになるのか。

何をしたら、もっと稼げるようになるのか。

誰よりもうまくなりたいと考え、もっと稼げるためには何が必要なのかを考えては、必死で練習を積み、技術を身につけ、自分の腕を磨いていきました。

それもこれも負けず嫌いだからです。その積み重ねで、私はいろいろな仕事をこなすようになり、結果としてユニオンテックは施工だけの会社にとどまることなく、空間づくりのすべての領域にまで事業を広げることができました。

しかし、私、大川祐介の夢はこれで終わりではありません。もっと大きな夢があります。それはユニオンテックを誰もが見たこともない会社に育て上げるという夢です。

この夢は絶対に諦めたくない。何としても実現させたいと思います。

夢の核にあるのは、私の負けず嫌いのスピリッツです。負けたくない、やるからには一番になりたい。この気持ちが原動力となり、小学校から中学校、そしてこれまでの自分を支え、後押ししてきました。それはこの先も同じです。

いままでも、そしてこれからも、私はずっと負けず嫌いのまま進んで行きます。