人間はいつ死ぬかわからない

人間はいつ死ぬかわからない

 私、大川祐介は、先日、遺言書を作成しました。
 そう聞くと、きっと多くの方がびっくりされると思います。
 まだ30代なのに、なぜ遺言書を作るのか。誰のために何のために作成するのか。死とそんなに隣り合わせなのか、と。
 遺言書を作ろうと思ったのは1年ほど前のことですが、理由は極めてシンプルです。人間、いつ死んでもおかしくない。自分だって例外ではない。そう考えたからです。
 病気になったわけでも、急に心細くなったわけでも、死生観が大きく変わったからでもない。人間、いつかは必ず死ぬ。その日がいつ来るかはわからない。
 それは何十年も先かもしれないし、もしかしたら明日かもしれません。
 だったら、準備しておいてもいいんじゃないか。
 そんな動機で遺言書を作りました。今回は、遺言書作成にかけた私の気持ちをお伝えしたいと思います。
36歳で逝ってしまった部下

それは約10年前から始まった

 「身の回りで、どなたか親しい方が亡くなったんですか?」
 遺言書を作ったというと、よくこのような質問を受けます。
 実は、ここ1年ちょっとの間に親しい人間を二人失いました。
 一人は、ユニオンテックの社員です。彼は、2014年9月に36才の若さでこの世を去りました。仕事を終えて同僚とともに電車に乗り、自宅に戻って夕食後にソファでくつろいでいた彼は、奥さんと子どもがお風呂に入って出てきたら、すでに亡くなっていました。心筋梗塞だったそうです。
 翌日、私のところに連絡が来ましたが、信じられませんでした。信じられるはずがない。兆候などまったくなかったのですから。彼は、死ぬ直前まで普通に仕事をして、家族との時間を楽しみ、元気に過ごしていました。それなのに、本当に突然彼は逝ってしまった。
 人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。そして、その日がいつ来るのかは神ならぬ身には知りようがない。どうすることもできない真理を痛感した悲しいできごとでした。
永遠の別れが突然やってきた

永遠の別れが突然やってきた

 私、大川祐介が会社をおこした20才のときからつきあいがある、ガラス会社の社長さんもつい1ヶ月ほど前に亡くなりました。
 享年50才。やはり、死ぬような年齢ではありません。
 彼と最後に話したのは、渋谷の徳真会クオーツタワーの案件を手がけているときです。
 仕事を少しお願いしようと思って電話を入れました。「お久しぶりです。またぜひ、仕事をお願いしたい」。そう言ったら、「いまはガラスの仕事からはもう外れているから、任せている弟に電話を入れてほしい」と言われました。
 後からわかったのですが、彼はそのとき病気で入院中でした。知らずに、私は病院にいる彼の携帯に電話をかけていたわけです。現場での仕事が無事に終わり、しばらくしてから報告のために再び電話をしたら、直前に亡くなったと聞かされました。
 私が若い頃からずっと信頼して仕事をお願いしていた方です。ずいぶんとお世話になりました。仕事上での関係はずっとずっと、この先も続くと思っていました。それが当たり前だと疑いもしていませんでした。
 でも、そうではなかった。永遠の別れは避けられない。ときにそれは、突然訪れるものなのです。
 二人の死は、遺言書を作った直接のきっかけになったわけではないのですが、いつも頭のどこかにあったように思います。「もしものとき」に備えて遺言書を残そう--。その決断の後押しになったのかもしれません。
「あなたも死ぬかもしれません」

「あなたも死ぬかもしれません」

 別れが必ずやってくるとはいえ、いつ死んでもいい、などとは全く思っていません。
 ただ、振り返ってみれば、死が身近に迫ったことはあります。20才のときに、私、大川祐介は一度死にかけました。
 スノーボードの最中に転倒して頭を打ち、救急病院に運ばれました。診断は、急性硬膜下血腫。脳内出血を起こし、ICUに入りました。
 14才のときにも交通事故で車にはねられ、足を骨折し、入院生活を余儀なくされたことがありましたが、とてもその比ではない。文字通り、生死の境をさまよいました。
 事故の記憶はありません。目が覚めたら病院のベッドの上でした。いまでもよく覚えていますが、ハッと意識を取り戻したとき、近くにいた看護師の女性に私はこう尋ねました。
 「僕は死ぬんですか?」
 彼女がなんと答えたと思いますか?
 「わかりません」と言われたのです。「大丈夫、回復しますよ」でも「元気になりますよ」でもなく、「悪化したらわかりません」という答え。冷たく残酷に聞こえますが、そうではない。それほど楽観を許さない深刻な状況だったのでしょう。
九死に一生を得て

九死に一生を得て

 幸い、症状は回復に向い、自然治癒できました。退院してからも、半年に一度は病院に通い検査を受けていましたが、それも3年ほどで終わりました。後遺症もなく、いまは元気に過ごせています。
 しかし、この事故のせいなのか、私はどちらかといえば慎重派です。 
 歩いていても、転倒死することがないようにと周囲には注意を払っています。滑りやすい革靴を履いているときには必ず手すりをつかんで歩いています。
 障害物だけでなく、周囲の人間を観察することも忘れません。おかしな行動をとっている人間が目に入れば、すかさず避けて、別の道を通ります。もし、誰かが襲ってきたら? 変な人間は周りにいないか?などと、注意し観察するのが癖になっています。
 それは、九死に一生を得た経験のせいなのかはわかりません。単にもともとの性分なのかもしれません。
 でも確実なことが一つある。それは自分もいつかは死ぬということ。23才のときには死の淵から生還できた私ですが、この生命が今後もずっと保証されているとは限らない。  
 死が避けられない以上、どんなにじたばたとあがこうとも、どんなに口惜しくても、家族やユニオンテックの社員に別れを告げなければならないときはやってくる。
 遺言書はそのときのための準備なのです。

私、大川祐介が遺言書を残したワケ〈後編〉