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【NY出張記・後編】ニューヨーク視察で持ち帰った、ユニオンテックの新たな挑戦

ユニオンテックの4日間の視察が、クリエイティブと新事業を少し前に進めた話

MoMAと、窓よりアートが多い街

ニューヨーク2日目は、朝からMoMAをキメます。
相変わらず猛烈に寒い。それでも、メンバーそれぞれお目当ての作品が多いMoMAとあって、足取りは軽快です。
しかし、さすがのMoMA。そう簡単にはミーハーをさせてくれません。
建物の構造を楽しむだけでも大忙し。

現在のMoMAの建築を語るうえで欠かせないのが、日本人建築家・谷口吉生氏です。2004年のリニューアルでは、それまでのMoMAの歴史を尊重しながら、新築部分はあえて主張を抑えた設計に。展示室も完全に閉じてしまわず、ところどころに開口が設けられ、作品を巡っている途中でマンハッタンの街並みや館内の大きな吹き抜けが、ふいに視界へ入ってきます。
美術館の中にいるのに、街とのつながりが途切れない。この仕掛けが、MoMAを歩く面白さのひとつになっています。

5階には1880年代から1940年代、4階には1950年代から1970年代、そして下の階へ進むにつれて現代へ。上から下へ移動するほど、時代も少しずつ今に近づいていきます。
エスカレーターをひとつ下りるたびに、世界史が数十年進むという、なかなかドラマチックなタイムトラベルになっています。
そして最後に建物の外へ出れば、そこにあるのは真の現代、今この瞬間のニューヨーク。美術館から最新のアートシーンへそのまま放り出されるところまでがMoMAの設計なのでは……と思えてきます。
深読みかもしれませんが。

なかでも濃密だったのが、1880年代から1940年代までのモダンアートが集まる5階、モネの『睡蓮』があるエリアの周辺です。

教科書で誰もが見たことのある巨匠たちの作品が、あえて隣り合ったり、地続きの空間に置かれたりしていて、それぞれを単体で見るというより、互いに影響を与えながら時代が動いていったことを体感できるようになっています。

モネの部屋へ向かう手前には、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの『星月夜』や、ポール・セザンヌの作品。そしてピカソがキュビズムの扉を開いた大作『アヴィニョンの娘たち』もあります。
輪郭が溶けていくようなモネの表現と、形そのものをバラバラに解体していくピカソ。まったく違う方法で近代へ向かった二人が、同じフロアに…。

モネ、ゴッホ、セザンヌ、ピカソ、マティス。
美術の教科書がそのまま立体になったような顔ぶれが、次から次へと現れます。ひとつの作品だけでは見えなかったつながりや、新たな表現が次の表現を生んでいく様子を見ることができます。

そして、個人的な一番のお目当て、モネの部屋!
『睡蓮』が展示された専用ルームは、巨大な作品の没入感を最大限に引き出すため、壁の曲線や色まで細かく設計されています。
全長約13メートルにも及ぶ3連パネルに合わせて、部屋そのものがつくられていて、中央には、ゆっくり腰を下ろして水面に包まれるように作品を眺められるベンチも置かれています。

モネは、19世紀末頃から、一つの部屋を『睡蓮』の巨大なキャンバスで埋めつくした「大装飾画」を制作する構想をもっていたと言われていますが、この展示室は結構理想の形になっているのではないでしょうか?
足を踏み入れた瞬間から、ほとんどの人が展示に吸い込まれるように座り込み、ゆっくりと時間をかけて絵を眺めている人々が多く見られました。

さらにMoMAでは、展示の組み合わせもずっと固定されているわけではなく、コレクションの一部が定期的に入れ替わります。その際に、部屋(壁)ごと壊して展示空間を調整するんだそう。

これはアートの話でありながら、空間デザインの提案価値にも通じるものがあります。良いアートや家具や素材を集めて綺麗に並べることと、「良い空間」をつくることは、全く違う。
展示は、配置というより編集なのだと思います。
同じ巨匠の作品でも、隣に誰がいるかで見え方が変わり、同じ作品も編集によって新しいストーリーや解釈を提供することができる。

なぜこの場所なのか、なぜこの順番なのか、なぜこの素材で、なぜこの作品なのか。
人がどこから入ってきて、どこで足を止めて、何を見て、何を覚えて帰るのか。
ふと、ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(ボストン美術館)が頭をよぎります…展示が凄すぎて、人生の深淵まで覗き込んでしまいました…

何か熱心に見ているようで、実は何も見ていなかった松田氏

もうひとつ、MoMAからNYのストリートに放たれて、改めて日本との違いとして印象に残ったことがあります。
ニューヨークでは、アートが美術館やギャラリーから出たあとも、普通にそこにある。
ホテルにも、レストランにも、オフィスにも、公共空間にもある。
わざわざアートを見に行かなくても、街の中で何度も出会います。
一方、日本では鑑賞する文化に比べると、オフィスや店舗、住宅へ実際にアートを買って入れることは、まだ限られているように感じます。
そこに、もしかしたら私たちが入れる余地があるのではないか。作品だけを売るのではなく、なぜこの会社に、なぜこの空間に、この作品なのか、というストーリーをお客様と一緒に見出すというプロセスは、空間をつくる会社だからこその機会がありそうです。

Manuela, Eleven Madison Park

社会の鏡、ホイットニー美術館

張り巡らされた天井グリッド(2枚目)

ホッパーの作品で有名なWhitney Museum(ホイットニー美術館)でまず驚いたのは、建物そのものの面白さでした。
特に5階のギャラリーは約1,675平方メートルあって、これだけ広いのになんと柱が1本もないワンルーム空間。
そして天井にはグリッドが張り巡らされ、展覧会に合わせて壁をつくったり動かしたりできるようになっていて、完成された展示室というより、毎回つくり変えられる巨大な実験室のような空間です。

MoMAでは、モネからピカソ、ウォーホルへと時代をたどりながら、表現がどう変化してきたのかを読み解いていく面白さがありました。いわば、美術史の中を歩いているような感覚です。
一方のWhitneyで感じたのは、作品が生まれた社会の雰囲気や、そこに生きていた人たちの気配でした。
都市、暮らし、孤独、人種、ジェンダー、政治、アイデンティティ。作品の向こうにあるアメリカ社会が、ぐっと近くに迫ってきます。
ホッパーが描く都市や部屋、窓辺の人々からは、その時代を生きる人の孤独や距離感、バスキアの計算されていないような力強い筆跡からは、強い社会批判やエネルギー。
あくまで個人の感想ですが、MoMAが「美術史を歩く」場所なら、Whitneyは「誰かが生きている社会の中を歩く」場所という感覚を持ちました。

そして、館内で作品を見ている間ももちろん楽しいのですが、展示室を一歩出ると、今度は空間の表情ががらりと変わります。西側は床から天井までガラス張り。その向こうにはハドソン川が広がっていました。
しかもこの日は、大寒波の影響で川が凍りついていて、流氷状態。
冬の光を受けてキラキラ輝く氷の向こうにニューヨークの街が見える景色は、本当に美しくて、しばらく眺めてしまいました。

さらに建物の東側は、上の階へいくほどセットバックしていて、各階に広い屋外テラスがあります。
そこも展示空間の一部で、彫刻越しにマンハッタンやハイラインを眺められ、テラス同士を屋外階段で行き来できる。館内で作品を見て、外へ出て街を眺め、風を感じながら次の階へ向かう。
美術館の中と外を、何度も行ったり来たりできる設計……なのですが!
今回は大雪の影響で、肝心の屋外テラスに出られず。

実は建築的にかなり楽しみにしていた場所をガラス越しに眺めることになりました。無念ですが、必ず次回来ようと思いました。

なんと私立、メトロポリタン美術館

はじめにお伝えすると、規模が広大すぎて詳細のレポートは割愛します。(笑)行ったことがある友人に、見るには1日かかるよ!と言われたものの、全館を1日で見ようという気持ちは、たぶん入口あたりで捨てたほうがいい…。

そして意外だったのが、これほど巨大な美術館が、私立の美術館だということ。ニューヨーク市が建物を所有し、土地や運営面で支えているものの、The Metそのものは民間の非営利組織によって運営されていると聞いて驚きました。
1870年の設立時には、実業家や金融家、芸術家、思想家たちが「アメリカにも世界に並ぶ美術館を!」と立ち上げたそうで、最初のコレクションはわずか174点。それが150年以上かけて、現在の150万点超えの規模まで育っています。

建物も、一度にどーんと完成したわけではありません。1880年代以降、時代ごとに増築を繰り返し、古い建物を新しい建物が包み込むように巨大化してきました。つまり館内を歩くだけで、作品だけでなく建築まで時代が入り混じっている。
代表的なのが、古代エジプトのデンドゥール神殿。

巨大なガラス張りの専用空間を用意し、神殿を本来と同じ東向きに据え、水辺との関係まで再現しています。アメリカン・ウィングへ行けば、今度は17世紀から20世紀までの実際の室内空間を再構成した部屋が現れ、かつてウォール街にあった銀行のファサードまで保存されている。
美術館というより、世界中から時間と空間を集めて、セントラルパークの横に巨大な街をひとつつくってしまった感じです。
「今日はThe Metを見ます」ではなく、「今日はThe Metのどの辺まで行けるでしょうか」くらいが、たぶん正しい向き合い方だな…と思いました。
美術館の中にホテルを作って欲しいものです。

そして私は、4万円のアートを買おうとしている

この絵は絶対億超え

ここまでニューヨークで散々アートを見て、ギャラリーを歩いて、作品の価値、流通、文脈やらと色々考えてきましたが、帰国して自分に返ってきた問いはかなり小さいものでした。

「ところで、自分はアートを買ったことがあるのか?」

そう、なかったんです。
日本では、美術館へ行くことはあっても、作品を買うとなると急にハードルが上がる気がします。アートを買う人と聞けば、ものすごいコレクターか、ものすごい富裕層か、ものすごくアートに詳しい人を想像してしまいます。
でもニューヨークを歩いていると、どうもそれだけではないらしいということが度々感じられました。
もちろん何億円、何十億円という世界もあります。一方で、若い作家の作品や、もっと手の届く価格帯の作品もある。買う理由だって、「将来値上がりしそうだから」だけでなく、たまたま自分の記憶や価値観とつながったとか、この作品を見るとある時期を思い出すとか、それくらい個人的でいいのだと思いました。

アートを買うとは、作品について立派に語れるようになることではなく、自分とその作品の間にひとつ話ができることなのかもしれません。
だったら私も、まず4万円くらいの作品をひとつ買ってみようと思っています。そして今、じつは猛烈に買おうとどうかと迷っている猫のアートがあります。
4万円なら、決して安くはない。でも、生活を賭けるほどでもなく。
この絶妙な金額から始めてみたいなと思いました。

日本のアート市場を盛り上げる、と言うと急に話が大きくなりますが、実際に必要なのは「きっかけもあったことだし、一度買ってみようかな」と思う人を増やすことなのかもしれません。
そして、そこにはユニオンテックのような空間をつくる会社にも、できることがありそうです。
オフィスや店舗、住宅にアートを入れるとき、ただ空いている壁に作品を掛けるのではなく、その会社が何を大事にしているのか、その空間を訪れた人に何を感じてほしいのかを一緒に考える。
アーティストとお客様の間に入り、作品の背景を伝え、空間の中で意味を持たせる。
その延長に、「だから、この作品がいい」という出会いをつくる。

3万円でも、30万円でも、300万円でも、価格帯も、買う理由も、もっといろいろあっていいはずです。
でも、その一枚を家に掛けて、誰かに「なんでこれ買ったの?」と聞かれたときに、ニューヨークの話から始められたら、それはそれでかなり良い買い物な気がしています。
今回の視察で持ち帰ったもののひとつが、そんな最初の一枚だったら面白い。
まだ、買っていませんが。